Kudryavka Niimiが適当に喋る感じのあれ。

ネットワークエンジニア見習いの日常系ブログです。鉄道や野球や漫画アニメとか、趣味関係の話が多めになる予定。

タケコプター 第3章

ネタもないので、続きとか言ってもったいぶっていながら全く面白くもないあれ、載せましょうか。
読み飛ばしてもらって結構ですよ。
いや、ほんと。
いつ書いたかも覚えてません。
書いておいたファイルの更新日時が10月17日になってたので、その日に書き上げたのでしょう。
約ひと月前ですか。早いものですね。なぜこんなの書いてたんでしょう。
 


 
3章 本来の目的
 
 ヘリトンボを販売していた会社はじきに潰れ、空を飛ぶ人は、また一握りの富裕層に限られた。
 あれから10年間は、航路を構成する光線はまだ残ったままだ。
 しかし、この航路が再び世の為に役立つ日が来そうだ。 それというのも、近く、タケコプターの新機種が発売されるらしいのだ。価格は、発売当初よりもはるかに安い。半年もバイトに精を出せば、俺にも手が届いた。天下のタケコプターだ。安全性は全く問題なかった。
 だが、金を用意した俺は、それを買うことをしなかった。もっと欲しいものができたのだ。
 空を飛ぶことに憧れ続けてきた人類は、地上を見なくなった。
 政府の主導で行われてきた空地の整備は、日照権や安全性の点からあまり進まなかったのだが。安全性については、国会議事堂によって証明しようとしたらしいが、高山病の症状で地上に降りてくる議員が後を絶たなかった。大失敗だった。どれだけの公的資金を無駄にしたのか。政府はなお、空地の整備を進めようとしているし。
 高山病のおかげで議事はなかなか進まないが、議員としては堂々と休暇を取れるため、議事堂を地上に戻そうという者は現れなかった。
 こうして、一般市民の生活拠点は地上のまま変化はあまり見られなかったが、移動手段だけは専らタケコプターに変わった。
 俺は空を飛ぶことに大してこだわっていない。空を飛ぶ必要性を感じてないからだ。移動手段として優秀なら、それでいい。それだけでいい。
 それは、タケコプターの開発の本来の目的だったに違いない。
 しかし、今は違う。空を飛ぶこと自体が娯楽と化しているのだ。
 
 俺は、貯めた金で自動車を買った。ボロッちい中古の軽自動車だ。実際に動くことに驚かされるほど、ボロボロだった。
 空を飛ぶことに夢中な人々は、自動車に興味を失い、価格は暴落していたらしかった。子供の小遣いでも買えるんじゃないか?これ。
 が、修理を依頼したら結局、手元にはほとんど残らなかった。まあ、なくて困る金ではない。良しとしよう。
 納車されてきた車とはるか上空を飛び回る人の群れを見て、俺はふと、こんな言葉を思い出した。
 なんとかと煙は高いところが好き。
 俺は思う。それはきっと、物理的にも、社会的にも、だ。
 もっとも、いま俺が立っているこの真下、地下深くでは、居場所も仕事もない何十万という人間が浮世離れした集団生活を送っているらしいが。地下難民と呼ばれる彼らは、人の世に戻って来られるのだろうか。それともこれも、悪しき伝統として代々受け継がれてしまうのであろうか。
 俺の知ったことではない。知る必要もない。そうならないよう、先祖のもとにロボットを送り込んだのだから。俺は、過去を変えて自分の将来を手に入れたのだ。
 
 22世紀に入り、科学の発展は一層加速している。今や、国会議事堂は宇宙ステーションの中にある。はるか宇宙からでは、国民の生活を知る由もない。
 もっとも、それも昔から受け継がれてきた伝統だ。 なんだかなぁ。
 俺も二十歳になり、選挙権を得た。しかし、頼もしいと思える政党はない。次の選挙、行かなくてもいいか。何が変わるでもなかろう。
 できの悪い先祖の過去を改善した野比セワシだったが、頭の悪さだけはどうにもならないものだった。遺伝的に受け継がれた、そのお世辞にも良いとは言えない頭で考えていた。
「良き伝統は廃れ、悪しき伝統だけが受け継がれてゆくのだ。人の世の中は、無上なほど無常で、そして、無情だ」と。
 そして、渋滞する航路を上に見つつ、車通りの少ない道路をおんぼろ自動車で駆け抜けていった。
 


 
一応、これで終わりみたいです。落ちてませんんが、続きを書く気にもならないのでこれで終わらせようと思います。
 
次回書くとしたら、登場順から考えて、22世紀のマジックハンドになります。
気が向いたら書くかもしれませんが、この文章を読み返したらだいぶ自分に失望したので、暫らくは書かないと思います。
ネタが切れたら書くことがあるかもしれませんが、その時も読まないでいただいて結構ですよ。
自己満ブログなので、面白いことよりも更新することの方が重要なのです。
 
ということで、すっかりネタを出し切ってしまいました。
明日以降、どうしよう。