Kudryavka Niimiが適当に喋る感じのあれ。

ネットワークエンジニア見習いの日常系ブログです。鉄道や野球や漫画アニメとか、趣味関係の話が多めになる予定。

言葉の壁。

明後日の投票日を前に、駅前はより一層騒がしく、五月蝿く、喧しくなってきました。

あ、どうも今晩は。
今日もね、ろくでもないことを書いていこうかなぁと、いう風に思いますよ。



最近思うんですね、日本国民と政治家は違う言語を使っているのではないか、と。


政治家に国民の声は届いているとは到底思えないのです。

国会周辺で原発反対のデモをやったときだって、政治家は
「五月蠅いなぁ、もう!」
みたいな反応をしてたじゃないですか。
恰もそれがただの騒音であるかの如く。

そして、それと同じことが、逆でも言えると思うのです。
政治家の、ラッシュ時の駅前での演説を、選挙カーでの名前の連呼を、国民はただの騒音としか思っていないんじゃないかと。



要するに、意志の疎通ができていないんだと思います。

言葉は何の為にあるのでしょう。
意志の疎通を図る為ではありませんか?

じゃあ、意志の疎通が出来ないのは何故でしょう?

どちらかが間違った言葉を使っているから?
そんなことはないですね。
言葉遣いに関する未曾有ゆうの間違いはないでしょう。


ならば、両者の“言葉”が違っているが故に通じないと考えられるのではないでしょうか。
この両者の間には、高い高い、乗り越えがたい言葉の壁があるのだと思います。


大体、政治家が選挙の前に言ってることなんてただの理想論で、政権取ったら「予定は未定であって確定ではない」みたいな感じですぐ政権公約破るじゃないですか。
曖昧な表現をしてお茶を濁すじゃないですか。

そのような“政治家の言葉”は、国民には理解し得ないのです。
“国民の言葉”では、それらを「嘘」とか「偽り」とか「誤魔化し」と表現し、忌み嫌っているわけですから。
できるだけしたくないし、されたくもない。
まあ、政治家以外にも、そうじゃない人はいっぱい居ますけどね。
でも、少なくとも自分がやられて良い気分がする人は居ないでしょう。


人に通じない言葉は言葉としてどうなんでしょうね。



とまあ、こんなことを思った次第であります。



最後に、全く関係はありませんが、

坂本選手お誕生日おめでとうございます!


といったところで今日はここまで。
それでは。